八幡大師大日寺は、悩みを抱いた人、心弱い人、心おごれる人など、すべての方々の修行の場です。
人は、「出逢い」によって人生が決まります。
それを「縁」といいます。
仏の教えにめぐり逢える人は数少ないものです。
八幡大師大日寺が、これから辿るあなたの人生の道しるべとなれば幸いです。
〒151-0053 東京都渋谷区代々木5-5-4
命の流れを感じましょう。
因果応報の道理により、
人の命は、先祖から現在を通って未来まで生き続けていることを知り、
今、生かされていることに感謝して、先祖供養を心がけましょう。
〒413-0232 静岡県伊東市八幡野1517-6
昔から、人が永住するに相応しい理想的な土地を、「四神相応の地」と呼びます。
それは「北に山あり、水は東に流れ、南に開け、西に大路ある処に四神が宿る」ということです。
此処は、その名の通り、八幡大菩薩が御座る「八幡野字御座山」という、有り難い処です。
辞書には出家は家を出て仏門に入ること、家出とは密かに家を抜け出ることとあります。
同じように家を出るのに何が違うのでしょうか?
大日寺住職大栗道榮の説によると・・・
「上に出るのと下に出るのとの違いさ!」
上に出るとは、生きるとは何をすることなのかという悟りを求めて修行という勉強をすること。
家出は家族の一員として居られなくなり脱出してしまうこと。
しかし、脱出した先に待っているのは地獄の生活、まさに下に出ることになります。
でも地獄に居てはいけないと気がついて、生きることに一所懸命な気持になると・・・
あら不思議、ご先祖さまという強い味方が付いてくださり、家出というきっかけにより「生きる力」を得ることが出来るのです。
出家とは俗世を離れて仏門に入るとありますが、なぜ俗世を離れないといけないのでしょうか?
俗世は〝おいしいものだらけ〞〝楽しいものがいっぱい〞〝流行のものやカッコイイものにあふれている〞・・・
そしてそれらが〝楽をして手に入る〞誘惑だらけの世界です。
そんな俗世にいると人間が本来持っている工夫をして考え生み出すという素晴らしい才能を閉じ込めてしまったままの生活になります。
そこで人間本来の魂が「これではいけない。もっと別の生き方があるのでは?」と、その人から飛び出るのですが、そのときに「上に出る」か「下に出る」かの違いだけなのです。
では、出家して僧になったらどうなるのか?
僧の生活は自発的に戒律(人が守るべき掟)を守り俗世で楽しんだ「欲」から遠ざかった生活をし、清らかな心作りを目指して粗末な衣服や食事に満足出来る自分作りをしていきます。
人の心の中には〈自分は思うように生きているのか?〉〈自分の人生はこれで良いのだろうか?〉といった過去への後悔や未来への不安がいっぱいです。
でも、幸せになりたいと願っているのが人間です。
大日寺は、お坊さんの修行にふさわしい山の中ではなく東京のド真ん中、渋谷や原宿まで歩いて20分、それも最寄り駅へ1分のところに敢えて作りました。
その理由は「俗世の欲の中でこそ本物の修行が出来るのだ」という住職の信念からです。
怠けた坊主のことを「頭を剃って心を剃らず」といいます。
大日寺では「心を剃って頭を剃らず」
出家も家出もせず、あなたが自分らしく目的をもって生き抜いていく方法を身に付ける「密教塾」「密教教室」を開いています。