大栗道榮の密教塾 修行僧の声


大栗道榮の密教塾 修行僧の声

◆大日寺で1年修行して感じた事  【 第31期生 道縁 】


道縁 私は、小さい頃からお坊さんに憧れていました。
当然、自然と仏教経典や密教関係の本を選んで30年程読み続け、自分なりに第三者に世界観を伝えられる程になっていました。

しかし、「密教」は口伝が多く、他の宗派と違って師僧につかなくてはならないのです。
なので、肝心の「密教体験」をする事が出来ませんでした。
(密教は単なる学問ではなく「体験」を重視します)

密教を体験したい!
自在に密教を活用出来る人間になりたい!

そして、師となる(現代における)本物の密教のお坊さんを探していたのです。
(空海さんがいまの時代に生きていらしたら、最先端科学、宇宙工学、遺伝子、金融、グローバル経済や先端医療の概念なども密教に取り入れただろう、と思うため)

ところが世の中には密教を本気で勉強していない(身についていない?)お坊さんも正直多く、
縁をいただいて質問しても自分の言葉で説明出来ている人にはなかなか出会えず、
「ああ、このお坊さん 、解ってないんだな・・・」と思う事が多々ありました。

そんなある日、書籍「理趣経入門」を手にし、衝撃を受けたのです。
「この人は本物だ!」と。
そして、暫く悩みましたが、意を決し、大日寺の門を叩いたのです。

しかし、不安がなかったと言えば嘘になります。
得度したい人向けの、6ヶ月間の準備期間(密教を体験するコース「密教本講座」)があるのですが、
体験初日に、目の前で、10年以上修行を続けている先輩方が厳しく叱咤されているシーンを目の当たりにし、 正座もろくに出来ない自分にこんな事が続くのだろうか、やはり自分には無理なんじゃないだろうか、 と思うに至ったのです。

ところが、妙喜先生は私に、「最初っから出来なくていいんだよ」と優しく仰います。
その反面、強く 叱咤されている先輩もいらっしゃる。

先が見えず不安でしたが、1年続けてみて、
先生は、100のうち、5しか出来ない人には6とか、ちょっと上をやってみなさい、と仰るのです。
いきなり80を要求しない。
それは続かないから。

しかし、本来60出来るはずの人が60に満たない力でやっていたら、叱咤する。
だんだんとそのように見えて来ました。

大栗道榮師、妙喜先生がお考えになっていることは、
密教を確実に、私達に「身につけさせる」ことであり、
いきなり100をポンと与えて、出来なかったとしても後は知らない、という事ではなく、
ひとりひとりのレベルに応じて、5を6に、10を11に、半歩先を見ながら、根気よく何度も繰り返し、
「出来るようになってきたな」と思ったら、「じゃあ、今日はこれをやってみなさい」と、次のレベルの事を仰るのです。

私は最初「空海さんみたいに、短期間で密教をマスターするぞ!」と意気込んでいましたが(笑)、
今は、密教は腹筋のようなもので、短期間でプロジェクト的にジムに通ってムキムキの姿になって、 満足してその1~2 年後には筋肉が落ちてしまってぶよぶよになっている、という事ではなく、
少しづつ自分の出来る範囲でトレーニングを重ね、数年後に、気付いたら美しくしなやかな筋肉が自分のものになっている、 というようなものだと気付きました。

肉体トレーニングでも、インストラクターの先生について、「自分の状態」を客観的に見てもらう必要があります。
独学で密教を学ぶのには限界があるという理由はここにもあるんだな、とも痛感しました。

また、掃除やお風呂、歯磨きのようなものかもしれません。
なぜ日々お風呂に入らなきゃいけないのか?
それを修行だと思うと大変ですが、日課だと思うと自然と入っています。

その日課の中に、人生の中のベースの部分に密教生活を取り入れていく。
数年後気づくと、なんだか宇宙と一体化出来ている実感があり、
宇宙を味方にしながら自然とうまく回っている状態になる。
それが、大日寺が目指す「密教を身に付けている人」を育て、増やすという事なのかと感じています。

厳しいイメージの「密教修行」に対しての不安が消え、
今はなんと!長時間正座する事も出来るようになってきました。
そして、周囲からも「別人のようだ!」と言われるようになってきました。
本人としては実感がないのですが…

今後ですが、
急がず、焦らず、一歩づつ、密教を確実に身に付けた人生を歩んでいきたいと思います。




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