十界(じっかい)の有(あ)る所(ところ)、これ我(わ)が心(こころ)なり
(自分の心のなかには、十の世界がある)
あなたはいままでに、とても他人に言えないような破廉恥(はれんち)なことを考えたことがありますか?
「ない」というのは、おそらくうそでしょう。
誰でも心に善玉の世界と悪玉の世界をもっています。
自分の考えを大声で吹聴したいときは、心が善玉の世界にいるときです。
人に言えないことを考えたときは、心が悪玉の世界にいるときです。
人間の世界は、善玉の世界(悟りの世界)が四つ、悪玉の世界(迷いの世界)が六つ、合わせて十の世界に分かれています。
といっても、それぞれの世界はオリンピックの五輪のマークのように互いに重なり合っています。
人の気持ち(感情)は、まるで花から花へと蜜を求めて移り飛ぶ蜜蜂のように、一刻の休みもなく、いつも十の世界を飛び回っているのです。
その十の世界とはどんな世界でしょう。
まずは善玉の世界からです。
・最高は「如来(仏)の世界」です。
宇宙という永遠の生命を信じて、この世のものにまったく執着がない世界です。
・二番手は「菩薩の世界」です。
縁のある人が苦しんでいたり困っていたりすると、自分のことは犠牲にしても助けてあげようとする世界です。
・三番手は「縁覚(えんがく)の世界」です。
坐禅をして瞑想することによって自然の道理を身につける世界です。
・四番手は「声聞(しょうもん)の世界」です。
お釈迦さまの道理の法を信ずる人の話に耳を傾ける世界です。
ここまでが善玉の世界で、これからが悪玉の世界に入ります。
・五番手は「天上の世界」です。
天上には天女が住んでいますが、彼女たちはいつも有頂天で、人の不幸など知らぬ顔の世界です。
・六番手は「人間の世界」です。
毎日を四苦八苦している世界です。
・七番手は「修羅の世界」です。
争いごとの大好きな世界です。
・八番手は「畜生の世界」です。
弱肉強食で。生きものの生命なんてなんとも思わない世界です。
・九番手は「餓鬼の世界」です。
どんなに美食をし、美衣を着、豪邸に住んでも、どんなに財宝や土地をもっても、やっぱり欲求不満の世界です。
・最低は「地獄の世界」です。
何事もよいことは自分のせい、悪いことは全部人のせいにして、つねに他人を責め憎む世界です。
これがわれわれの心のなかです。
弘法さんは「どうか、みんなが善玉の世界にすみますように!」と祈っておられることでしょう。
「おといれだより」平成26年7月号『第13回 弘法さんのことば』より
弘法さんのことば