刻鏤(こくろう)、用(よう)に随って(したがって)刀(とう)を改む(あらたむ)
(彫刻家は粗彫りから仕上げまで、そのときどきの用途に応じて彫刻刀を使い分ける。)
和尚は食事のときは必ず箸を使います。
朝も昼も夜も、寺にいるときはたいてい和食だからです。
ときにはカレーライスですが、それも箸で食べることがあります。
インド人は三本の指で器用に食べるそうですが、和尚にはできないので、やっぱり箸を使います。
それほど箸が身近にあるのに、和尚は箸のことをいままで詳しく知りませんでした。
お寿司屋さんへ入ってお寿司を注文すると「並ですか、上ですか、特上ですか?」と聞かれます。
うなぎ屋さんでも同じことを聞かれます。
人間は、どうしてなんにでも等級をつけたがるのでしょうか。
ときどき「あたなの暮らしは中流ですか?」などとアンケートが舞い込みますが、暮らしにまで上流とか中流とか下流とか、川の流れのような等級をつけるんですね。
和尚は、割り箸にも等級があることを知りませんでした。
おそば屋さんで使っている割り箸は「丁六」という並の割り箸で、お寿司屋さんで使う中流の割り箸は「小判」とか「元禄」とかいって、これはちょっと長めです。
懐石料理などで使う割り箸は「利休」とか「天削」とかいって特上のものです。
並の箸は機械でつくりますが、まして上流のなかでもとびきり特上の仏像を彫刻するには、大小さまざま数十本の彫刻刀が必要です。
この刀の使い方次第で、できあがる仏さまの格が決まるのです。
平安時代から鎌倉時代にかけて、多くの仏師が仏像を彫りました。
運慶とか湛慶といった特上の仏師が彫った仏像は、今では国宝になっています。
仏師ばかりでなく当時はお坊さんも彫刻刀を握りました。
弘法さんも大いに仏像を彫られたようです。
寺の由来に「この寺の本尊さまは、弘法大師が巡錫のみぎり大師おん手ずから一刀三礼して彫られた・・・」と書いてある寺が全国各地に何百か寺もあります。
弘法さんはよほど彫刻がお好きで、しかもお上手だったのでしょう。
そうでなければ「用に随って刀を改む」ということばが頭に浮かぶわけがありません。
弘法さんは彫刻の手を休めながら、もしかして、〈用途に応じて刀を使い分けるのは、人を使うのと同じことだなあ〉と考えられたのでしょうか。
「おといれだより」平成27年6月号『第23回 弘法さんのことば』より
弘法さんのことば