燕石(えんせき)珠(たま)に濫(らん)じ 璞鼠(はくそ)名(な)渉(わた)る
(燕の糞で光っている石を宝石と思い込んだり、璞の字をちょっと見ただけで、からからにひからびた鼠の死骸という意味なのに、鉄鉱や銅鉱と思ってしまう。)
いつの時代になっても既成宗教がたるんでくると、新興宗教が興ってきます。
近頃でも「なんとか真理教」とか「なんとか科学」とかいろいろな新しい宗教が雨後の竹の子のように出てきました。
そうした宗教団体の多くは「有名になって、うんとお金を儲けたい!」というのが切実な望みのようです。
そのためには人の不幸につけ込むのがいちばん手っ取り早いのです。
「お子さんができないのは水子の霊のたたりです。ご祈祷で除いてあげましょう」
「あなたが就職に失敗したのは、ご両親が中絶した水子の霊がたたっているのです。二十一日間、わたしが毎日供養してあげましょう。供養料は一日あたり十万円です」
人の弱みにつけ込んで巧みに脅し、すかして、多額のお布施を奉納させます。
信者が「効果がなかった」などと文句をいおうものならば「信心が足りない!」と逆に叱られるありさまです。
「輸血をするのは神の教えに背くことだ!」という宗教を信じた両親のために交通事故にあった坊やが出血多量で死んでしまったという事件がかつてありました。
キリスト教や仏教、イスラム教、ユダヤ教などの既成宗教や新宗教も含めて、あらゆる宗教は、すべての人が「なるほど、それは道理だ」と納得できる哲学がないと、それは道理にかなった宗教とはいえません。
弘法さんは間違った思想や哲学を信じている人たちに、こう警告しておられます。
「燕石(燕が巣をかけて糞できらきら光っている屋根瓦の石)を見て、珠に濫じ(あれはもしかして宝石かもしれないと思い込んでいる)、また、璞鼠名渉る(『璞』という漢字をチラと見ただけで、璞鼠は〝ミイラ化した鼠の死骸〞という意味なのに、鉄鉱や銅鉱という意味だと思ってしまう)」
たしかにそういうことはあります。
和尚がいまだに英語が下手なのは、辞書を引いても、第二の意味も第三の意味も書いてあるのに、第一の意味しか見ようとしないせいかもしれません。
英語ならいのちに関わりませんが、間違った信心は、いのちも財産も失いますから、ご用心ご用心!
「おといれだより」平成30年9月号『第61回 弘法さんのことば』より
弘法さんのことば