弘法さんのことば

真言は苦を抜き楽を与う

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真言は苦を抜き楽を与う

真言(しんごん)は苦を抜き楽を与う

(ほんとうのことばは苦しみを生むことがなく、いつも気が楽である。)



「人が、この社会のなかで生きていくうえで何がいちばん大切か?」と尋ねたら、「それは信用だ」と誰でも答えるでしょう。

信用というものは色も匂いもなく、姿形もないものですが、たとえていえば花火のようなものです。
つくりあげるまでは地味にコツコツと積み重ねていくのですが、それを失うのは一瞬のことです。

ただ花火と違うところは、つくりあげるのに一生かかることと、失うときは花火のように美しくなくて、人びとの嘲笑のもとに墜落して消えていくことです。

金融機関で働いている人が三十年間正直に勤めあげても、定年間際に百円のお金をごまかせば、いままでの三十年間の信用もバブルのように消えるでしょう。

信用の信という字は「人の言」と書きます。
人のことばは、真言(まことのことば)でないと、他人が信用してくれません。

「あの人は信用できる人か、信用できない人か」という判断は、誰にとってもむずかしいものです。

和尚は縁あって寺に修行にくる人を二年間じっくり観察することにしています。
これは決して長くはありません。
一輪の朝顔が咲くまででさえ、種をまいてから何か月も観察するではありませんか。
これから一生、信頼してつきあっていこうという人を、そんなに早く合格とか駄目とか評価しては失礼です。

どんなに見栄をはって自分を取り繕い、いい格好をしようとしても、そんな態度は一年と続きません。
ちょっと頭のよい人で口の上手な人であっても、たとえ一年間はごまかせても二年とは続かないものです。

最初の一年間は、はじめに大きなことをいったのを、なんとかボロを出さずにカバーできます。
ところが二年目ともなれば、悲しいことに二年前に自分がいったことを忘れてしまうのです。
賢いようでも浅薄なのが人間の性ですが、小さな頃から正直にしつけられている人は違います。

和尚と三十年来の友人は、はじめて会ったときも、昨日会ったときも、頭の毛がなくなったのは別として、いうこともすることも少しも和尚を裏切ることはありません。


大きなことをいえば、あとで後悔して苦しみます。
聞いたほうにしても、話半分に聞いても後味の悪いものです。

「信」は「まこと」とも読みますから、信は「まことを言う人」です。

いつもほんとうのことを誠意のこもったことばでいえば、気楽な毎日が過ごせるのです。



「おといれだより」平成28年12月号『第40回 弘法さんのことば』より



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