「運という女神の頭はハゲ頭、通り過ぎればつかまえられぬ」という人がいる。
どうも、この女神は禿頭病(とくとうびょう)になって前髪しか残っていないらしい。
そこで、ちょうど自分の目の前にやって来たときに、前髪をつかまなければいけない。
後頭部はツルツルだから、もう遅いというのである。
これは、まことにいい得て妙である。
「運は寝て待て」という人もいるが、こりゃだめだ。
棚からぼた餅を待って、口を開けて寝ていると、運というものは眠っている間に来て、通り過ぎてしまう。
「運は練って待つ」これが本当の待ち方である。
練るとは、心をおちつけてよく研究し、工夫することである。
そうして、時のくるのを待つのである。
ある大会社に、長い間営業畑を歩いてきた課長がいた。
営業力はあり、統率力もあるので、みんなから次期部長だと嘱望されていた。
自分もいずれ営業部長になってますます成績を上げ、そのうち営業担当常務ぐらいになれるかもしれない、と考えていた。
人事異動の時期になり、発表があった。
彼がもらった辞令には、「経理部長を命ず」とあった。
彼はガクゼンとした。
自分は、営業部長に昇進するものと思い込んでいたからだ。
経理部長に就任したものの、全くチンプンカンプンである。
いっぺんに自信喪失して、だんだん仕事が嫌になり、ついに退職してしまったという。
彼は、運を練って待たなかったのである。
部長ともなれば会社の経営全般に目を光らせなければならない。
自分が昇進したら、どの部署に配属されてもその仕事をこなせるように、ふだんから他の部署の勉強もしておくべきだったのである。
運が良いのも悪いのも、すべてはその人の可能性による。
人はみんな、すばらしい可能性を持っている。
自分がその可能性に気づいて勉強を重ねていくと、実力がついてくる。
そうなると、自信がわいてくる。
自信ができると、それぞれの目的に向かって信念を持って進むことができる。
自分が信念を持った日々を過ごしていると、自分の周りに「縁」ができてくる。
これを運という。
このとき、女神の前髪をつかむのである。
もしも、あなたが行きづまったら、自分の世界で必要なことを研究しながら、今までに自分と縁のあった人達の名刺をすべてひっぱり出して、名刺のカルタ取りをやってみるがいい。
耳をすませば、きっとあなたの心耳には、運の女神が前髪を風になびかせて駆けてくる足音が聞こえてくるはずである。
密教的人生学