「儲」という字を分析してみると、下の図のように二通りに分けることができる。
一つは「諸人」となり、一つは「信者」となる。
両者は、一見なんの脈絡もないことばであるが、2つのことばをよく見ながら考えてみれば、「諸人」と「信者」とに分けられる「儲」という文字は、事業というものの真髄をみごとに表していることに気づかれよう。
たとえば、ある人が家電量販店へ入って洗濯機を買うとする。
多くのメーカーの製品が並んでいる中で、M社のものがいちばん価格も安くデザインも良いので、それに決める。
使ってみると、とても便利だし何年たっても故障しない。
そうなると次に冷蔵庫を買い換えるときも掃除機を買うときも、ついついM社のものを選びたくなるのは当然であろう。
こうなれば、もう、いつの間にかその人はM社の「信者」である。
M社が作るものは何でも安くて品質が良いと信じてしまうのである。
こういうふうに、M社の製品の信奉者がたくさん増えてくると、M社が作るものはみんな売れてしまって、ひとりでに「儲かる」というわけである。
しかし、ここでいう「諸人」とはあくまでも不特定多数の人々のことであって、決して団体とか地域別に制約された人達のことではない。
儲けるということは、「お金のつかみ取り」をしているようなもので、強引に手いっぱいにつかもうとすればするほど、思ったようには手に残らないものである。
儲かるということは、手の平を上に向けて、そこに、喜んで品物を買ってくれた消費者(諸人)がお金を乘せてくれるのを受けることである。
こうすればお金が手の平いっぱいに盛り上がる。
なんだかイソップ物語の「北風と太陽と旅人」の話に似ていないだろうか。
そうなのだ。
事業をする者は、あの太陽のように「諸人」が喜んであなたの手の平にお金を乗せたくなるような方法を考えなければならない。
つまり、もっと便利で、もっと良い商品を、もっと安い価格で、心を込めて考察し、それを諸人に提供することによって初めて、信者となってもらえるということではないだろうか。
密教的人生学