死ぬ時に後悔しないように
怨みつらみを持って死んではいけません。なぜなら、その気持ちを持って生まれ変わることになるからです。 死ぬ時に心の荷物を軽くして「ありがとう。幸せでした。」と言えるように、日頃から何事にも「幸せ。幸せ。」と口にするようにしましょう。
大日寺で毎月1回(原則第1土曜日)開催している「生き方の達人」から抜粋したものになります。
開催日時等の詳細は「行事予定」でご確認ください。
怨みつらみを持って死んではいけません。なぜなら、その気持ちを持って生まれ変わることになるからです。 死ぬ時に心の荷物を軽くして「ありがとう。幸せでした。」と言えるように、日頃から何事にも「幸せ。幸せ。」と口にするようにしましょう。
一生解決しないものは一杯あります。許せないという『憎しみ』を来世まで持っていかないために、『許す』と100回書きましょう。許す方法が自然に湧いてきます。それが写経の原点です。お経は良いことしか書いてないので、書くと『良い気』がやってくるのです。
『やらないで十年過ぎる』のと『やって十年経つ』との違い。人間らしく満足した生き方をするにはどうしたら良いのか?不満と満足は必ずあります。それをひとつずつ取り出してやっていくこと、不満が来た時の心構えを作っておくことが重要です。
人間は次の世代に繋げるために生きています。人間としてこうやって生きてきた、人間は素晴らしい、ということを次の世代に残すのが一番の課題です。『また人間に生まれ変わりたい』という魂を残します。良いモノを残すためには考え方を良くしないといけません。次の世代の見本となる生き方をしましょう。
陽が昇る前は水が湧いて来る時です。大きな木に耳をつけると水を吸い上げる音がします。坊さんの修行ではその時にアカスイをとります。水道水でも4時の水やお茶は違います。人間の気持ちが高まり『私は人間だったのだ』と思えるのです。人間に目覚める瞬間、それが『陽が昇る前』なのです。
宇宙全体、動いているものすべてが生きています。死んで焼いても水素・窒素になって生きているのです。自分でお終いにしたいと思っても、それはできません。それが宇宙の法則だからです。
紆余曲折あるのが人生です。人生は『信念』を持っていれば必ず守護霊が力を貸してくれます。亡くなった人があの世にいって一番心配なのは『この世に残してきた人がどうしているか』ということです。だから安心してもらうために法事があります。また、仏さまにお願いする時は「私はこうしていますから手助けして下さい」と言わないと手を貸してくれません。
7は成就する数字です。考えている内は言霊になりません。思っていれば必ず言うときが来ます。それが縁というものです。
発散して『悪鬼』を出すと頭がスッキリします。臍(へそ)に力を入れてやると不思議と活気が出て臓器が動いてきます。嫌なことや思い出したくないことを無理に忘れようとすると、逆に体の中に入って病気になったりします。だから出してしまったほうが良いのです。一般に『他人に話すと気が楽になる』といいますが、そうとも限りません。他人の口は信用できないもので、悪気が無くても知らず知らずに他の人に伝わっていることが多いからです。
悪いことは紙に書いて2回手を叩き、お祓いしてゴミに出してしまいましょう。但し、言霊には宛名が必要です。例えば、夫への不満はその母親宛に書いてゴミに出します。水に流すのは『霊界に戻す』ということなので良くありません。天界に戻すには、紙を『火』で燃やすのが良いのです。
まじめな人ほど逃げるところがないので病んでしまいます。そうならないために、例えば人形やぬいぐるみなど『発散する捌け口』を作ると良いでしょう。不満などを相手に直接言ってはいけません。だから代わりに吸い取ってくれるものが必要なのです。
般若心経には『呪』という文字が4回出てきますが、その『呪』を良い呪いに変えろと書いてあります。『呪』にはふたつの意味があります。ひとつは『呪い殺し人に被せる』こと、もうひとつは『災いを除く』ことで、その人の心がけひとつで変わっていくのです。言霊に魂が宿るのが『真言』、真実の言葉なのです。
第一章の第一節が重要です。悟りという仏の智慧はどうしたら得られるのか?人間は誰でもその智慧を自分の心の中に持っています。しかし、皆が仏になれないのは本当の自分の心を知らないからなのです。ありのままの自分の心を知ったなら、すぐ仏になれるでしょう。
触れるということは安心感を得ることに繋がります。他人だけでなく、自分で自分に触れましょう。自分で自分の人差し指を握ってあげましょう。
五感=眼耳鼻舌身の内、先ず大事なのは『鼻』です。香りは心を和らげます。香りの良い花、木の香りを嗅ぎ、その次に爽やかな音を聴きましょう。
頑張るは『ガンを張る』と言うことで良くありません。エンジンがかかるまでは『ひとつ終わったら、もうひとつ』と続けていき、嫌な時は手が届くところから始めていきます。それを仏教用語では『縁あるところから』と言います。やることは紙に書き、書いちゃったから仕方ないと思ってやる・・・するとエンジンがかかってきます。口に出して言霊にして実行しましょう。
やろうと思ってやらないのは、それが目的ではないからです。目的にするには自分の決め事を作ることです。ひとつ作って、慣れて日常化できたら次の約束事を自分に課していきます。一度にふたつは二股になって迷ってしまうので絶対にやめましょう。迷わない自分を作るためには約束事を1つにすることが重要です。
『良くなった自分を想像すること』、さらに『いつやるか』『どういう方法が良いのか』をイメージし、五感に訴えます。さらに、信念がないと何事も上手くいきません。常に信念と目的を持つことが大切です。信念とは、自分が『こうする』と決めたことをずっと心に思い続け、やり続けることです。
守護霊と邪気は紙一重で、邪気が人を迷わせます。邪気は清浄が苦手で、掃除をした綺麗な所には来ません。ですから、邪気を祓うには5分でも空気を入れ替え清清しくすることです。よく使う部屋はいつも開けっ放しにします。トイレも使う時に閉めれば良いのです。
いかに脳みそを働かせるかが大事です。自然に働くように情報を与えておくと、どんどん動いてくれるからです。
休養を上手に使ったならば人生を楽しめることでしょう。なぜなら休養からいろいろな事が生まれ養われていくからです。
悟りに終りはありません。人間には、眼耳鼻口身(皮膚)五つの穴が開いています。この5つの穴と心で何にでも触れて自分を磨くことが重要です。実際に触れて「なるほど」と思い、実行したなら『悟り』に至ることができるのです。
罵倒しあっていたら家出と同じです。住職曰く「出家は上に向かって行き、家出は下に向かって行くもの」。悟りに向かって家を出れば良いのです。価値ある離婚にしなくてはいけません。価値があるとは、10年先を考えて意味があるということです。10年後を考えながらしなやかに強く生き抜くことが大切です。
柳のことを「しなやか」といいます。柳は弓のようにしなって元に戻る性質があります。『こういう生き方をする』という確固たるモノを持っていれば、どんなことがあっても自分に戻ることができるのです。
だから仏壇には水を置くのです。水は清浄であり、洗い清めるという意味があります。嫌なことがあった時は水を飲み、溜まっているものを流しましょう。
1:優しい眼差し、2:なごやかな顔つき、3:心のこもった言葉、4:親切な行い、5:相手と同じ目の高さで物を見る。特に5が大事です。同じ目の高さで見るとは、『話す時は相手の目線に合わせる』『同じ時に合わせる』こと。例えば老人が若者と話す時は、『若かった頃を思い出して話す』ということです。
幸せなんてそんなものです。お釈迦様に「幸せになる方法はあるか」と訊ねると、お釈迦様曰く「道そのものがしあわせだ」と。青い鳥なんていません。歩いていくことが青い鳥なのです。どうやって生きていくかが重要で、そこには悲しみや苦しみが伴います。
『してあげる喜び』『してもらう喜び』『役に立つ喜び』『必要とされる喜び』。『捨』とは人のために自分の大切な時間を使うこと。家族関係がうまくいかないのは「捨」ができないからです。お互いが3分でも自分を無にして黙って聞いてあげる、それが相手を幸福にしてあげることに繋がります。慈悲喜捨ができることは己を高めていくことにも通じるのです。
一端できた縁はどんなに切ろうとしても切ることはできません。どんな縁であっても自分から切ってはいけません。たとえ悪縁でも、良縁が来るためのものなのです。縁あったことに感謝することで、自然に次の良い縁に繋がります。