密教的人生学

近江商人は商売を仏教から学んだ

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近江商人は商売を仏教から学んだ

「近江商人の通ったあとは、草も生えぬ」とむかしからいわれている。

その近江商人に、商売の真髄を教えたのは、この地に布教に来た僧侶達であった。
彼等はこういったのである。

「商売というものは、生産された物品を、消費者に共有して、そのために報酬を受けることである。
また工業とは、物品を生産して需要家に供給して、その報酬を受けることである。
世間では、この報酬のことを“利益”と呼んでいる。
利益が得られるのは、自分以外の人の利益を考えるからである。
商業であれ、工業であれ、どちらにも自分以外の人の利益を考えるという基本的な心の行がなければならない。
他人に利益を与えようとする心の行をすれば、自分に利益がかえってくる。
これを“自利利他(じりりた)円満の功徳”という。
利他の心とは、仏の心である。
仏心をおこしてすべての人々を救おうとすることが、仏の行いである。
この仏の心で仏の行ないをする人を菩薩(ぼさつ)という。
だから、商工業に従事するということは、仏の行い(すなわち菩薩行)をしているということになる」

仏の行為をすることによって、信用を得ることができるのである。
商工業で成功しようとするときに、大切なのは、まさにここである。

これを実行して成功した近江商人達は、熱心な仏教信者になった。


では、商工業での仏の行ないとはどんなことを指しているのだろう。

むかしの近江商人と違って、ちかごろの経営者は、自社だけの利益を追いかけすぎているようである。
そして、少しばかりの財産ができるとたちまち豪華な生活をして、社員や下請けを苦しめる。
そのために会社の業績が悪くなると、今度は他人のせいにする。

これは、仏の行ないとは反対の行動である。

すぐれた近江商人は、行商により全国的な商いを展開したが、その生活は、
「朝、家を出ると夜まで帰らず、風雨や寒暑もいとわず艱難辛苦(かんなんしんく)をして行商する、というものであった。そしていつも木綿の着物を着て、菜食に徹し(肥満防止のためではない)、糸一本、紐一本も捨てず、一文の金も無駄に使わなかった」
という。

現代ではこんな生活は誰もやっていないだろう。

彼等はこうして、よく働き、倹約して、しかも正直、誠実に商いをした。


商工業を営むということは、僧が修行をするのと同じ事である。

人々が、よりよい生活ができるために、より便利な商品を作り、より新鮮な食物を手に入れて、いち早く供給する、という具合に、他人の利益になることを常に考えて正当な報酬を受ける。
この行為が自らの特を積むことになって、一家眷属(けんぞく)七代までも栄えるのである。

あなたも日々の行動に気をつけて、あなたの通ったあとに、不徳というペンペン草が生えないように心すべきであろう。



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